時代の変わり目
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2011-06-20 | 個別ページ | |
| デジタル・バックパッカー・社長BLOG |
| 〜世界のエンタメ・ビジネス界を渡り歩く〜 |

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2011-06-20 | 個別ページ | |
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確かに、iPhone/iPadユーザーとしてはこれに慣れると、 日本ローカルのドコモを先頭とした、 ゲーム機もそうだけど、ハードとソフト、システムを組み合わせた |
2010-08-20 | 個別ページ | |
![]() 映画の時代からテレビの時代になるようなインパクトで、ゲームの世界が大きく変わ ってきています。現在次々と新たなプラットフォームが誕生。facebook をはじめとす るSNSサービスはもちろんですが携帯のグローバルの風雲児といえば、iPhone。 この領域ではGoogle が推進するAndroid からも目が離せませんが、 現在はiPhoneが他を圧倒的にリードをしています。 iPhoneのプラットフォームとしてのすごさはビデオゲームで 育ったものとしては驚愕です。(自分もプレイステーション、ドリームキャストの プラットフォーム設計に関わっていました) いくつもすごいところがありますが、いくつか列挙すると 1)クリエイターの参入障壁を思いっきり下げている (プロダクトの承認プロセスもとても簡単)
2)アプリをあらゆる種類受け付けている3)値段設定もまったく自由 4)ネットを前提としている 5)グローバル配信がきわめて簡単に行える(スピードも驚異的) 6)ビジネスモデルがとてもクリア 7)携帯電話としてすごいのは、スクリーンサイズがグローバルで同一 もちろん、ハードとしてのユーザーインターフェイスであるとか、 デザインの魅力など他のよい点はいくつもあるのですがプラットフォーマーとしての 視点がとても高いのです。 ユーザーに対する経験、ライフスタイルの提案力、またコンテンツプロバイダーに 対する作業フローを本当にうまくデザインしています。 一方で、このプラットフォームの敷居の低すぎる欠点として、 いわゆるくそゲーと呼ばれるゲームが星の数ほど出ており、 ユーザーが良いものを探すのが大変だったり、コンテンツプロバイダーの立場として、 キラリと他のゲームと比べて目立つのは非常に大変です。 今度、2本ほどiPhone のゲームを出しますが、今までと違ったチャレンジに対し いろいろ知恵を絞っているところです。 |
2009-11-06 | 個別ページ | |
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自分は、ゲームのプラットフォームを、身近なものにどのようにたとえればいいのかよく考える。たとえるという作業は、本質が曲げられることもあるが、逆に見えにくいことが見えるようになることもあるので、頭の体操としては面白い。 ビデオゲームの世界はまるで映画の世界のように発展していっているようだ。 一方、最近登場してきたネットゲーム、ソーシャルゲームはまるでテレビの世界のようだ。作品を出してから、毎週、毎日、プログラムをいじる。スピードと軽やかさが勝負だ。フェイスブック、マイスペース、ミクシィ、モバゲーなどに登場するゲームたち。お客さんはビデオゲーム機というハードには縛られない。誰でも持っている、PC,モバイルがその出口だ。この世界では、ソフトをインストールすることすら面倒くさいユーザーを相手にしている。 当然、違った世界には違ったクリエイターが育つ。でも映画とテレビの時代と同じように、制作現場にいる人たちは職種で言えばほとんど同じ(プログラマ、アーチスト、プランナー)。ソーシャルゲームもいまは昔のビデオゲームを参考にしたテーマが多いいけれど、映画ではクイズ番組がないように、今後のソーシャルゲームではまったく新しいジャンルがテーマになるだろう。 今、新しいクリエイティビティとビジネス的な機転が世界レベルでもとめられている。 |
2009-10-16 | 個別ページ | |
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数ヵ月後、盛田会長に発作の不幸があり、一切の業務から離れることになりました。会長との会議後、いくつかの名称を検討しましたが、いい案がありません。結局、後にSCE社長、ソニー副社長となる徳中部長(当時)が大賀社長に、プレイステーションで行きたいという確認を大賀社長に入れ、了承を得ました。 あの時、盛田会長が倒れていなかったら、プレイステーションは違う名前になっていたのかもしれません、という、時効のお話でした。
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2008-12-26 | 個別ページ | |
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会長は風邪をひかれていて、ベットに座ったまま話を聞かれていましたが、途中から傍目にもわかるくらい目が輝き始め、元気になり立ち上がり、 “ありがとう、ソニーにこういう商品を待っていた。頑張ってくれ。ただ、ひとつだけ問題がある。ネーミングだ。もう少し違うものを、考えてくれ”。 |
2008-12-22 | 個別ページ | |
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任天堂との協力関係を一方的に破棄された後、まだプレイステーションが 一人は後にセガの社長となった当時コンスーマーのハード担当であった あの時、セガが積極的であればソニーはそれに飛びついたことでしょう。 |
2008-10-21 | 個別ページ | |
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2008-09-25 | 個別ページ | |
プレイステーションが世に送り出される前に、米国では「PS」マーク以外にキャラクターが存在しました。その名も「ポリゴンマン」。マーケティングのバックグラウンドを持つ、当時のSCEA社長、Steve Race 氏は、PlayStationという名前をマーケット調査にかけたところ、そのイメージは最悪、子供じみているという結果が出ました。 その結果、ゲームを米国導入する前、ソニーのE3でのパーティでポリゴンマンを華々しくプレイステーションのイメージキャラクターとして紹介しようとしました。当時、本件は日本や会社の他の人にもほとんど相談されず、Race氏がマーケティング担当と進めたものでした。 東京側が知ったのは、パーティの数日前。喧々諤々の議論の末に、ポリゴンマンは幻となりました。本件が、その一因となり、Race氏はプレイステーションの発売前にSCEAをやめてしまいます。 さて、そのポリゴンマンですが、ほとんどのキャンペーンは止めたものの、一部は止まらず、SCEAのプレイステーションパーティでのギフトはポリゴンマンT−シャツでした。 |
2008-08-08 | 個別ページ | |
| 今年2月、ラスベガスの業界コンファレンスDICE にてLife Achievement Awardsを受賞され、スタンディングオベーションでステージに満員の聴衆を相手に大賀さんへの感謝の意を述べる久夛良木さん(映像上)を見て、あの日の会議の事が思い出されました。 ソニーがゲーム事業を立ち上げる事を決めた会議。あのように大きな事業になることを考えると、とても少ない参加者、およそ10人程度のもと行われました。当時(1992年)の大賀社長(現ソニー名誉会長)、徳中氏(当時経営企画部長、後SCE社長)、丸山氏(当時ソニーEPIC社長、後SCE副社長、ソニーミュージック(SME)社長)と久夛良木次長、伊庭本部長等に加え、後にSCEの取締役クラスになる人間が数人参加したのみでした。自分は、当時本社で徳中氏が副本部長を勤める経営企画部門の係長で、様々な資料を作っていた為、会議に参加していました。 事業の将来性、ソニー株の元で事業を行うことのカルチャ上や形式上の負担、競合他社(任天堂、セガ)との状況、技術上のチャレンジ等々の発表を久夛良木、丸山、徳中氏より大賀社長にピッチされました。大賀社長も本社会議で見せるような威厳というより、あれやこれや気軽に色んな質問をされました。丸山氏がいることで、会議の雰囲気もソフトビジネスのようになったようです。 ここで、大賀社長が後々に語り継がれた決定を下します。 自分は、会長、社長が出席された会議を何度か経験していたコーポレートスタッフでしたが、この一件には驚きました。確かに、そのような方向を目指すべく色々な用意をしてきましたが、当時まだまだわからないことも多く、会議の参加者に本社役員クラスの人間はただ一人(事業担当役員すらいなかった)、久夛良木さんもエリートエンジニアというよりは、とてもあくの強いエンジニアと考えている人もいるくらいでした。実際、ソニーがゲームビジネスに入ることに前向きであった人は、事業部にはほとんどいませんでした。そのような状況と、あのような会議体でしかも、別会社化まで指示してしまう大賀社長に、今から考えると英断、また、当時の経験の浅い自分には「本当ですか?!」と思わせる決定でした。会議の後は、特に久夛良木さんを始め、皆が高揚していました。このスピーチとその会議に出ていたことを、非常に幸運に思っています。 |
2008-06-25 | 個別ページ | |

内海 州人
(Shuji Utsumi)
★ソニー:経営企画室、Sony Computer Entertainment of Americaの創設メンバー
★セガ:Sega of America、セガ・エンタープライゼス執行役員
★ディズニー:インタラクティブアジア代表を歴任
☆クラッシュバンディクー(SCEA)
☆サクラ大戦, 2K Sports (セガ)
☆キングダムハーツ
(ブエナビスタゲーム)
などの作品にも係わる
・一橋大学卒業
・ウォートンMBA