ソニーCEOに平井氏決定

2012.02.03 .18:40:50


    


自分が平井さんに初めて会ったのは、
SCEAのオフィスがあったフォスターシティだったと思います。
当時、SCEAはソニーのアメリカ部門の傘下から
日本のSCEの傘下に移る最中でした。
SCEの副社長をしていた丸山さん(現在当社の社外役員)が
SCEAのマネジメント体制を一新すべく乗り込み、
その右腕に平井さんと現在SCEI社長のアンディハウスを
連れてきたのです。
自分は微妙な立場で、日本人なんだけど当時の
米国マネジメントに近いという状態でした。
その頃、円高ということもありSCEAはあまり収益性が良くありませんでした。
ただ、マーケットシェアは高く、
数でいうとローンチは成功していました。
値段を、米国のマネジメントの主張もあり$299にしたのですが、
今から考えてもあれは正しい選択でした。
SCEという会社は新しかった事もあり、
損を出してまでという心情は日本にくすぶっていて、
かつ米国のソニー社長に雇われた人間(SCEA社長)が
ソニーのエンジニア(久夛良木さん、当時SCE取締役)に命令されるのは
全く理解ができなかった為、
日本と米国の組織の双方に不満があり両者の関係がギクシャクしたのです。

丸山さんの決定は、全部日本が主導し、
米国のマネジメントを入れ替える事でした。
そこで白羽の矢が平井さんに立てられたのです。
自分が彼に会って驚いたのはその調整能力と
コミュニケーション能力の高さです。
あのむつかしい久夛良木さんと米国のスタッフの間を取り持ち、
PRの時には英語でも現地人以上に完璧に応対をするのです。
アメリカ人の不満をうまく抜きながら、
日本の意向をうまく受け止める力は驚愕ものでした。
それまでは、音楽関連の渉外の仕事をしていたので、
全く畑違いであるのに驚く程に早く物事を把握し適応して行くのです。

今度はソニー全体の社長という事ですから、これまた大変な仕事です。
然もどちらかと言えば、今回は事業構造的に
厳しい状態を変えていかなくてはいけない仕事です。
若くして社長になると社内ジェラシーも大変なものです。
また、エンジニアが強いソニーでは
技術本流ではないトップに対して不満も大きいのです。

今回は平井さんは本当に大変だとは思うのですが、
自分がSCEAの時に見た彼の変化のスピードを見ると
やれるのではないかと思います。
懸念するのは、ソニー社内で人気のなかったと同時に
平井さんにとっては恩人であるハワードとの立ち位置をうやむやにすると、
皆がついて来なくなるのではという事かな。
ハワード氏のコメントによると、今までの路線を踏襲してくれるから
平井さんという事になっているけど、4年連続で赤字で、
そういう事を言われてもなと思うでしょう?
前は、外人だから文句が通じないと思っていた人達の
不満が爆発する可能性があります。
あの時、SCEAできっぱり過去を清算したように、
先ずは過去にどう取り組むかが最初の試練だと思います。

ソニーには頑張って欲しいし、友人でもある平井さんにも勇気を持って
是非頑張って欲しいと思います。
頑張れ Kaz!

2012-02-03 | | |

ゲームクリエイター受難の時代?

2011.10.21 .16:05:16


    


ビジネスのロジックが変わる時、
それはその中で活躍していたプレイヤーにも
少なからず影響を与えるのは当然のこと。
でも、実際それが自分のところにやってくると
なかなか消化出来ないのが現実です。
かつて、自分も所属していたセガには
数多くの有名クリエイターがいました。
鈴木裕さん、中裕司さん、水口哲也などなど。
今でも、第一線でセガで活躍しているのは
見た目にも大変身してしまった名越さんくらいでしょうか。
あとは、独立して自分の得意分野を築こうと奮闘中なのでは。
カプコンからも多くのクリエイターが独立していきましたが、
皆苦戦しているのが現状のようです。
一方、残っている人達も必ずしも安泰ではなく、
コナミのビデオゲームチームには、
安くて儲かるソーシャルを見習え的なプレッシャーも
あるようです。
多くの元ビデオゲーム業界の人達がDeNA、Greeに転職。
いかにスピードが早いか、どんなにビジネスが違うかを
残った人達と情報交換するのが最近の業界飲み会の一般的な風景です。
人は何に対してお金を払うのか、というビジネスロジックが
大きく変わってしまいました。
今まで信じていたゲーム性と、課金に結びつくゲーム性は
大きく違っています。
そもそもなんでゲームをするのかという出だしから
ソーシャルゲームは違っているのです。
今のような状況が一過性のものか、形を変えて進化・成長して行くのか
意見が割れるところです。
うちの水口ともよくこの辺は議論になるところで、
しばらくはクリエイターにとって厳しい時代がくるのではというコメントが
時に彼の口から出てきます。
自分は、実は比較的楽観的に今の状況をみています。
だって、スマホになる事によって
マーケットのパイ自体はとても大きくなると思っているのですから。
今まで、リーチしにくかった人達にリーチ出来る。
しかも表現力は大きく上がる。
マクロにみると良い事が多いのです。
ここで前向きにならないと。
いろんな人に会って行こうよ、なんて言葉を掛け合いながら
今まで頑張ってきたクリエイターと共に
前を向いて仕事をしているところです。
絶対活躍の場があると信じてます。
とはいえ、サポートは大切。
今週、当社にこの業界に強い強力なクルーが2名入社。
新しいケミストリーで新たなサービスとコンテンツ作りを目指します。

 

2011-10-21 | | |

大賀さん、ご冥福をお祈りします。

2011.04.28 .17:28:53


    

ソニーで長らく経営のトップにおられた大賀さんが先日亡くなりました。
元、ソニーマンとして大賀さんのご冥福をお祈りします。

自分の最初のビジネスキャリアはソニーから始まりました。
そこで、本社の経営企画に配属され、
ソニーのトップマネジメントを身近に見る機会を与えられました。
その中でも、当時社長であった大賀さんは盛田さんとともに
特別な存在でした。
何か、独特のオーラを持っていて、風格がありました。
音楽家であり、オペラ歌手であったこともあり、音に対する感性は本物で、
エンジニアたちも大賀さんの前では嘘がつけませんでした。
いち早く、デジタル音の可能性を認めたのも大賀さんです。
ソニーミュージックを日本で立ち上げたのも大賀さん。
自分は見ることが出来ませんでしたが、
音楽家・アーチストの感性を良く知り、
彼らをマネジメントし、トレンドに合わせて売り込んでいくといった
土台を作ったのも大賀さんの存在が大きかったようです。

自分の実体験で、大賀さんのすごさを感じたのは、
プレイステーションの立ち上げ時です。
当時、エンジニアで問題児かつほら吹き
(本当の話で、ソニー3大ほら吹きエンジニアの一人でした。
でも、みな面白い仕事をしたようです。)と呼ばれていた
久多良木さんの、ゲームビジネスにかける意気込みを、
ほんの一握りの人がサポートしました。
当時、ソニーミュージックにいた丸山(当時副社長)さんと
ソニー本社の経営企画にいた徳中(当時部長)さんです。
任天堂との協業計画が頓挫し(契約があるにもかかわらず
任天堂が一方的に破棄)、ゲームの部品屋のままでいるか、
自分でプラットフォームを立ちあげるかという岐路に立ちました。
久多良木さんの新たなマシーンに対する構想と、
丸山さんのソフトメーカーを巻き込む意欲と、
それを後押しするビジネスモデルのプレゼンを、
10人程度の会議で行いました。
事業計画会議のようなかしこまった環境ではなく、当時
ポジション的には一人のエンジニアに過ぎなかった久多良木さんの説明を
大賀さんは熱心に聞き入り、いくつも質問をし、
丸山さん・徳中さんにも質問して、ことの重大さのわりには、
気軽に(あくまで自分の印象)言い放ちました。

"Do it" やれ。しかも、この事業はソニーの本体からはずして、
ソニーミュージックと合弁のまったく別会社で立ち上げろ。
こんな事業は、ソニーの人間にも、またソニーミュージックの人間にも
分かりはしない。機動力がもっとも必要だ。

この決断には、居合わせた自分もびっくりしました。
自分で資料を作っておきながら、リスクはとても大きなものであるのは
分かっていましたし、ソニー社内の反対も結構大きなものでした。
しかもプレゼンには組織のありようには触れていなかったからです。
大きな会社であったので、ここでは何も決裁されていません。
ただ、ビデオディスク事業部門(当時出井本部長)の、
部にも昇格していないプロジェクトで、
担当本部長も部長もあまりサポートしていなかったプロジェクト
(この会議には二人とも出席していない)を、
社長がいきなり引っ張りあげる決断をし、
今後の手続きを指示したのです。
しかも、大賀さんのリーダーシップは絶大であったので、
今後手続き上の会議を経ましたが実質このゲリラ会議でほぼ
今後の方向性を決めてしまったのです。
あの場にいて断言できるのは、大賀さんがいなかったらプレイステーションは
立ち上がっていないという事です。
異才でセンセーショナルでトップ批判まで及ぶ発言をした久多良木さんから、
一度たりとも大賀さんの批判を聞いたことはありません。
自ら異才であった大賀さんは、鬼才・天才が飛びぬけた仕事をする価値を
明らかに理解していたのではないでしょうか。
最近、ソニーが面白くなくなってきたと巷では言われているようですが、
是非、大賀さんの残した異才を慈しむカルチャーを受け継ぎ、
よりエッジのたった商品やサービスを提供してもらいたいものです。


 

2011-04-28 | | |

ガラパゴスをマーケティングせよ

2010.10.08 .16:42:18

先日、元ソニー社長の出井さんの会社:クオンタムリープ(株)
が主催する「アジアイノベーションフォーラム」に顔を出しました。
いくつか面白い情報やイベントがありましたが、
ウーンと黙ってしまったのは、10年後には中国が日本のGNPの
3倍になるであろうという予想でした。
自分は、日本のガラパゴス化に対する懸念を、
15年程前から唱えていたのですが、
もはやそんなことより、如何にガラパゴスの商品、文化を
差別化要因として世界に売っていくかという、
ガラパゴスグローバルマーケティング時代なのかなと思います。
もう、大国を目指すのではなく、アイデンティティを目指す事が、
しかもそこで価値をつける事が重要という発想の転換です。
シャープがガラパゴスという名前のタッチパッドを出しましたが、
ちょっとベタな感じがするものの、そういうことなのかなと思います。
iPadを真似し過ぎると、アメリカ種の品種改良で終わってしまうので
気を付けてもらいたいところです。
当社もローカルの繁栄種、グローバルのトップニッチを目指したいですね。 

2010-10-08 | | |

My partner MIZUGUCHI

2008.11.07 .20:46:54

Mizuguchi色んな類のクリエイターが世の中にはいます。ディレクタータイプ、プロデューサータイプ、アーティストタイプ、エンジニアタイプ。色々なタイプを見てきたつもりですが、キューエンタテインメントを一緒にやっている水口哲也のタイプ分けはかなり難しい。あえて言えば、アーティストとプロデューサーが混ざったような感じでしょうか。

自分がセガ・アメリカのコンスーマー向けゲーム開発部門を見ていた時に、アーケード部門のゲームプロデューサーと名乗る彼が尋ねてきてくれたのが出会いのきっかけでした。どうやら後にドリームキャストと呼ばれるコンスーマー機器をかっこよく導入する方法を探しているとのこと。
そして、その後東京に帰らず、砂漠で行われるパーティ、バーニングマンに参加するという。

アーケードのプロデューサーがコンスーマーのハード導入を語り、当時米国でも一部のインテリと超遊び人しか知らないパーティに実際に参加するという行動力に大いに驚かされ、それが今に至っている訳です。

それにしても、昨年夏に彼がプロデュースした元気ロケッツと米元副大統領アル・ゴアさんがホログラムでライブ競演するなど、まだまだ当時と変わらず、彼にとっては枠という概念がないようです。

‘Quest for the Future Entertainment.’
 

2008-11-07 | | |

ベンチャー経営者のプレゼンテーション

2008.09.12 .17:26:07

Mr.Hawkinsプレイステーションが市場に出される前に、ラスベガスで開催されたWCES(Winter Consumer Electronics Show)にて、3DO社が新たなゲーム機を発表しました。プレゼンテイターはEAの創始者であり、3DOの創始者でもあるTrip Hawkins 氏。自分はそこで初めて、ベンチャー経営者が多くの観衆を前に生き生きとプレゼンテーションする様を見て、とても興奮しました。
しかし、その時に一緒にいた人がまずかった・・・久夛良木さんです。

3DOのプレゼンテーション後、3時間に渡り、感動した自分が如何に間違っているかを説教されました。
内容というよりそのプレゼンテーションの仕方、観客に訴える魅力についていくら弁明しても聞く耳を持ってくれません。その時の自分にとっての名言が、“だからコーポレートにいると馬鹿になる。現場で戦えなくては。”です。

結局、久夛良木さんの予言通り、3DOは立ち上がりませんでしたが、久夛良木さんが真似をしたことがあります。それは、後に毎年行われるプレイステーションコンファレンスで自らが自らの言葉で、観衆に対してプレイステーションについて語り、参加を呼びかけるというスタイル。

久夛良木さんによく言われたものです。
“内海はあの時青かった。あんなプレゼンに感動して。”

今なら、こう言い返せるかもしれません。
“久夛良木さんも、あのプレゼンを参考にしたのでは?”

2008-09-12 | | |

忘れられない一言

2008.09.08 . 9:32:36

Mr.Kutaragiソニーのゲーム機参入の資料を本社のスタッフとしてしこしこ作っていた時に、当時ちゃんとした役職すら定かでないエンジニアの久夛良木氏は、よく声を掛けてくれました。久夛良木さんらしく、多くが暴言やお叱りであり、励ましの言葉は、本当に時々でした。

自分がトップへのあるプレゼン資料を作っていた時の、あの時の久夛良木さんの言葉が今でも忘れられません。

“いいか、内海、お前の資料では競合相手が任天堂やセガになっているが、自分のターゲットは違う。俺の競合相手はマイクロソフトだ。”

まだプレイステーションの半導体を作るメーカーすら決められておらず、またプロジェクトも立ち上がっていないためとんでもないほら吹きに聞こえたものの、どうしても忘れられない何かを感じ、冷やかしもせず黙って聞いていました。

あの時から、マイクロソフトがゲーム業界、いやリビングルームのテレビの覇権争いに加わるのに、およそ10年かかりました。

2008-09-08 | | |

ディズニー伝説のトップマネジメント

2008.08.01 .12:45:04

 Mr. Eisner

恵まれたことに、サラリーマン生活を通じて企業人として多くの有名なプレイヤーの方々に接する機会がありました。ソニーの故盛田氏、大賀名誉会長、久夛良木氏、セガ時代には故大川氏、中山氏、入交氏。
また業界では一代で大企業を作り上げた方々がいました。
その中で、一度しか会ったことがなくて、とてもインパクトのあった方が、元ディズニー社のCEOであったMr. Eisner です。

現在のディズニーのCEO Mr. Igerは、私がディズニーにいた当時国際部門のヘッドであったこともあり、しばしば日本にもきて、日本のマネジメントメンバーの名前まで覚えており、様々な相談に乗ってくれるとてもフレンドリーな方でした。
一方、Eisner氏はつぶれかけていたディズニー社をさまざまな施策を交えて、ハリウッドでもトップの会社に持ち上げた、当時すでに伝説となっていた経営者で、会社では皇帝的な趣まで持っていました。私がディズニーにいた4年間で彼は一度だけ日本に来ましたが、100人以上のスタッフが何かの理由をつけて米国から日本にやってきたのにはびっくりしました。
自分が KINGDOM HEARTS というSQUARE ENIX社と共同で制作していた作品等に関してプレゼンをする機会がありましたが、その時にも50人以上の米国のトップマネジメントが参加をしているという状況でした。
そして、Mr. Eisnerが自分をはっきり彼の部下として、単刀直入に、全くの遠慮などなくどんどん厳しい質問や指令を出すのが印象的でした。

日本の会社は根回しがあり、海外の会社はないなどという方が時々いますが、この会議ほど根回しをしたことがありません。
当時、“日本的なスクエニのキャラクターと、いくつもの違ったディズニーの世界観が、同じ世界で存在する”というコンセプトは会社的にはNGでした。ディズニーランドのみがそのような異なったディズニーの世界を一つの世界に入れてもよいというのが会社の不文律でした。このような方針をひっくり返すべく、ディズニーのゲーム部門が米国、日本と一体となりディズニーのブランド担当、ライセンス部門、海外部門などを巻き込み、御前会議にかけたのです。一番、反対していた方は米国にいるという状況での会議でした。

幸い、Mr. Eisner の印象もよく、大事にいたらなく案件が了解され、励ましの言葉すらもらいました。するとどうでしょう、この会議のあと中立的な立場に見えた方々が次々旧来からの友人のように、祝福にやってきてくれました。Mr. Eiser と接して様々な考えが及びます。あの、個性、自信とオーラ。同時にやはり長い年月による組織のゆがみ。彼はディズニーを離れましたが、あのような皇帝的な彼でさえ、名誉会長などにはならずにきっぱりと出なくてはならない米国の統治の道徳性。

ちなみに、Mr. IgerにCEOが変わり長らく停滞していたディズニー社は業績も上向きに転じています。

2008-08-01 | | |

プロフィール

内海 州人
(Shuji Utsumi)










★ソニー:経営企画室、Sony Computer Entertainment of Americaの創設メンバー
★セガ:Sega of America、セガ・エンタープライゼス執行役員
★ディズニー:インタラクティブアジア代表を歴任



☆クラッシュバンディクー(SCEA)
☆サクラ大戦, 2K Sports (セガ)
☆キングダムハーツ
(ブエナビスタゲーム)
などの作品にも係わる



・一橋大学卒業
・ウォートンMBA

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